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考える面白さはこの上なく美味/意識・人間・心・世界・なんでも・霊魂研究/世界は大激動し始めた

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脳の活動の中には「意識」は存在しない?





*脳と意識3*その240知性,論理,思考,意味,イメージ,本質,質,味わい,価値,心,意識,生物,社会,国家,自然,世界,宇宙,などの研究*イメージ思考でいこう*



脳と意識3


脳の活動・機能の中には「意識」は存在しないのではないか。

意外な問題提起ですが、

そう考えられる根拠がいくつもあります。


脳内では、局所的処理をされた情報は統合されない?


たとえば;
ニューロンたちの活動で、時間的にズレのある情報処理による結果の情報が、意識の中(意識の主体の中)では同時となっているケースが多い、という観察結果がある。
そのことは、脳の活動の中には意識はない、ということを示している、といえそうである。
つまり;
それらの情報がひとつのものにまとめられる(統合される)状況は脳内にはない。
つまり、それらの情報をひとつのものに統合する機能は脳内にはない。
(実際、脳の中にそういった統合する機能は見つかっていない)。
ということは、脳以外においてひとつにまとめられているということになる。
よって、意識も脳の外にある(外といっても脳に重なっている可能性を含めています)、ということになる。統合する機能と意識とは密接な関係があると推察されるからである。
(以上、仮説に至るイメージ思考の内容)


さらに、
脳内で、あちこちにあるニューロンたちの活動による情報処理(直前のものは、時間的なズレのある活動についていっている)、によって生まれる情報が、意識の中ではひとつの情報になって意識されている。
そういった情報を統合する機能は脳の中には見つかっていない。
そのことも、同じ理屈で、脳の活動の中には意識はない、ということを示している、といえそうである。
ということは、脳以外においてひとつにまとめられているということになる。
よって、意識も脳の外にある(外といっても脳に重なっている可能性を含めています)、ということになる。統合する機能と意識とは密接な関係があると推察されるからである。
(以上、仮説に至るイメージ思考の内容)



脳は、物質によるひとつの組織・器官を形づくってはいるが、なぜ、ニューロンたちのばらばらな活動(時間的にも空間的にも)が、ひとつの意識内容・意識を作り上げるのか、まったくわからない・わかっていない。
先に、意識というものは、なんらかのエネルギーの波動パターンである可能性が非常に高い、それ以外には見当たらない、という結論を得て記している。
しかも、脳という物質の組織は、波動性において、一体性・全体性を形づくれない・形作った部位をもてない、こともすでに述べた。
そこからも、
意識というものは脳の外にあって(外といっても脳に重なっている可能性を含めています)、波動性の極めて高いひとまとまりになったエネルギーが関わったなにかである、という結論がでてくる。
(以上、仮説に至るイメージ思考の内容)


脳という物質の組織は、刻一刻とあちこちが変化しているし、代謝によってあちこちの構成要素が入れ替わり、数年(7年ぐらい?)で完全に構成要素が入れ替わってしまう。
つまり、物質の組織である脳は常に変化していっており、不変を保てないということである。
一方、自分が自分であるという意識は決して変化しない。不変を保っている。
ということは、意識という存在は、物質の組織である脳にはないということになる。
そこから、上と同じく、
意識というものは脳の外にあって(外といっても脳に重なっている可能性を含めています)、波動性の極めて高いひとまとまりになったエネルギーが関わったなにかである、という結論がでてくる。
(以上、仮説に至るイメージ思考の内容)



リベットの実験(別なところで解説しました)の結果を説明するには、物質によって構成された脳に意識の主体があるのではなく、脳の外に(外といっても脳に重なっている可能性をも含めています)意識や知性を司る存在がある、とするしかない(詳しくはどこかに記しました)。
そこから、上と同じく、
意識(と知性)というものは脳の外にあって(外といっても脳に重なっている可能性を含めています)、波動性の極めて高いひとまとまりになったエネルギーが関わったなにかである、という結論がでてくる。
(以上、仮説に至るイメージ思考の内容)



まず、「以下」のまとめを記しましょう。
意識の主体には、人が昇天しても消えないベクトルのようなものが残る。よって、人が昇天しても意識の主体はなくならない。
その「以下」というのは;
質の科学のいう質と質時間は共に運動量と運動量時間と同じく保存される(質時間と運動量時間は回帰する以外にも保存される。ひとつの対象内では回帰するが、それと関わった対象との関係では、保存される・足しあわすとゼロに隠れる)。
ということは、任意の人(どの人も皆。全ての人一人一人が)が昇天した(死ぬという単語を使いたくない)としても、その人の保持している質と質時間は消えてなくなることはない、ということである(その人と関係した人たちとの間で、足しあわせるとゼロに隠れる関係にあるので残りあってしまう・相互に残る)。
それら質と質時間は意識の主体に残るなにか・変化である。
ということは、意識の主体は人の昇天後にも残る、ということである。
そこから、上と同じく、
意識というものは脳の外にあって(外といっても脳に重なっている可能性を含めています)、波動性の極めて高いひとまとまりになったエネルギーが関わったなにかである、という結論がでてくる。
(以上、仮説に至るイメージ思考の内容)



夢について考えてみると、
眠っていて肉体的には意識がないのに、夢を見ていてそれを意識しながら見ている、そんな夢がある。
それは、意識というものは肉体の一部の脳にあるのではなく、脳の外にあるなにかにあるのである(外といっても脳に重なっている可能性を含めています)、としか説明ができない。



ほかにも、いくつかの、その根拠があります。

それらはすでにあちこちに記しました。



さらに、「脳内では、局所的処理をされた情報は統合されない?」について続けます。


脳の活動と意識を例えるのに、すでに何度かコンピューターをもってきた(当てた)が、意識というのは、モニター画面に当たる。

コンピューターの演算装置や記憶装置などは、時間的なズレや位置の違い、のある情報処理、を行っている。

それらの結果がモニター画面でモニターされる。

さらに、超多並列処理のコンピューターシステムで例えると、もっとよく理解できる。

そういったコンピューターは、その内部で、空間的にも時間的にも、ものすごい分散処理・並列処理(局所的処理)を行っている。
(その処理を統括しているプログラムのもとに、である。脳と意識の器においては、その統括するプログラムというのは、意識の器の規格・性能・性質からでてくるソフトウェアのようなものであるだろうし、それに基づいて脳は設計されつくられているのだろう。その立場が正しいとすると、変換作業は意識の主体内で自動的になされる可能性が高いだろう)。

それら処理された情報は、モニター画面で統合され一体化され、その情報の全体像を表す・現す(実際はモニター画面内で情報が走査放出され映し出されている。つまり、ほんのわずかな時間差のある情報たちを、時間差が見えないようにして見せている)。

コンピューター本体の内部で、それら情報たちを統合し、一体化した全体像にすべく変換しても、それは「すべく変換」であって、モニター画面の中でしか一体化・全体化はなされない。

それは、まったくもってほんとに、脳と意識の主体、の関係に似ているといえる。
よって、その例えは的をいているといえる。
そのように似ているから、脳と意識の関係をコンピューターの本体とモニター画面に例えたのであるが、
それとは別に、コンピューターを先にもってきて、脳と意識の関係もそれと同じなのではないか、という主張もありうることである。

そこから人間について考えると、
情報が統合されるのは、意識の主体内で、ということになるだろう。
そして、意識の主体は脳の中には見当たらないということもいえる。


以上は、脳の中で局所的に情報処理された情報は、脳の外にある意識の主体(外といっても脳に重なっている可能性を含めています)に送り込まれた時点で、統括され一体化された全体像をもつ情報「波動パターン」になる、というイメージを浮かび上がらせる。

つまり、仮に、脳の内部で、局所的処理を行った情報たちを統合・一体化した全体像にすべく変換しても、それは「すべく変換」であって、意識の主体の中でしか統合・一体化・全体化はなされない、ということになる。




ノーベル賞医学者ペンフィールドの実験の中に、脳のある部位を電気刺激すると、その人は幽体離脱したような状態になって、自分を離れた上から、自分を眺めている状態になる、というものがある。
それを認めるなら、意識・知性・心は脳の外にある(外といっても脳に重なっている可能性をも含めています)、ということになる。

認める認めないは別として、
そのほかにも社会的・世界的に認められた科学者たちなどによって、意識・知性・心が、人の脳から離れて生きる・存在する現象が数多く報告されている。




(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)




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